日本新聞
1932-37年/サンパウロ発行
Museu Histórico da Imigração Japonesa no Brasil(ブラジル日本移民史料館)蔵
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解説
1932年1月、サンパウロにて翁長(おなが)助成によって創刊された(社主は中西周甫)。 1939年まで週刊、後に週二回の刊行で、沖縄出身の翁長はペルー経由でブラジル入りし、 ブラジル最初の日本語定期刊行物『南米』に短歌を寄せていたという。 創刊時の『伯剌西爾時報』の編集長を務めたほか『日伯新聞』を手伝ったこともある。 『日本新聞』は沖縄移民の読者層を多く持ち、記事の調子は節度を保った社説や社会批評を掲載し、知識人受けした。 最盛期でも7,500部程度の発行部数で、『日伯新聞』『伯剌西爾時報』『聖州新報』に次ぐ四番手の新聞であった。