ブラジル朝日新聞
1940-41年/サンパウロ発行
Museu Histórico da Imigração Japonesa no Brasil(ブラジル日本移民史料館)蔵
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解説
1940年7月、三浦鑿追放の策動により発行禁止処分を受けた『日伯新聞』の後継紙として、 ブラジル生まれのジョゼ・ヤマシロによってサンパウロにて創刊された。 ポルトガル語名をBrasil Asahiと名乗る。 排日運動が激化するなか、比較的穏当な日本移民擁護を主張した。 社としてはスポーツ大会、文芸サークルのような『日伯新聞』の事業を引き継いだ。 全4ページのうち、当初はポルトガル語ページが1ページだったのが、2ページとなった。 1941年8月より全ページ、ポルトガル語編集に切り替え、日本語出版全面禁止の危機を乗り越えようと図るが、同年12月には終刊させられた。