伯剌西爾時報
1917-52年/サンパウロ発行
Museu Histórico Regional Saburo Yamanaka(山中三郎記念バストス地域史料館)蔵
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解説
拓務省設立の海外興業株式会社を通して、サンパウロで創刊された日本語新聞。1917年8月31日創刊。 北米で新聞記者をやっていた黒石清作(1870~1961)が主幹(5年後には経営者も兼務)となり、 終始総領事館寄りの保守主義を守った。そのため、1920年代から30年代にかけて、 日本政府の移民政策を棄民政策に等しいといって反対する『日伯新聞』と対立関係にあった。 1941年、外国字新聞発行禁止令がしかれ、8月31日廃刊した。 戦後、禁止令が解かれ、1946年12月に戦前からの唯一の継続紙として、沖本磯満編集長の下で復刊した。 当時、移民社会の大多数を占めた日本戦勝を信じる信念派(勝ち組)を支持する立場を取り、 『パウリスタ新聞』、『日伯毎日新聞』といった後発の認識派(負け組)新聞と激しく対立した。 しかし信念派が減るにつれて存続が困難となり、1952年12月ごろに廃刊した。